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candylogue

February 2008April 2008

March 2008

Ultimate Sensuous Synchronized Show

国際フォーラムにてザ・コーネリアス・グループを観る。とてもとても素晴らしかった。ホールだけあってこれまでよりもずっと高音質・ぐっと高画質。ちびまる子ちゃんやら矢沢永吉やらカオシレータやらテノリオンやらギミック満載。最後はスタンディング・オベーション。これから開催の名古屋と大阪がうらやましい。

ホールツアー対応の新セットリストはそのうち書きます。

The Cornelius Group "Ultimate Sensuous Synchronized Show" at Tokyo International Forum

演奏は、よりタイトに!
映像は、よりシャープに!
輝きを増した照明、お待たせの、新メニューも!!

過酷な欧+米ツアーを経て、けいけんちが69あがったザ・コーネリアス・グループが、みんなのニッポンに帰ってきた!国内三大主要都市で開かれるワールド・ツアーの最終ステージは、ナイス・エイジの成熟度を余すところなく伝えるデラックス・エディション。

シンクロ率200%!!!

ell-mallo

エルマロ復活。渋谷系とかくだらないことはもう放っといてガーっと聴くがよろしい。地に足着いた浮遊感に疾走して緩く怠い刹那の49分。

ベタをなめるべからず

先日、音楽ビデオについて書きましたが、プロモーション映像として観たときに松浦亜弥の初期のPVはどれも快作だと思います。とくに「ドッキドキ!Loveメール」は傑作。ポップスのPVとしての完成度はとてつもなく、映像はもとより楽曲、そしてアイドルとしての松浦亜弥のクオリティの3拍子揃って、86・58・88のナイス・プロポーションです。イメージとして。

ふつうにちゃんと良い出来であり、大衆消費財としての真っ当に捻くれることなく作られている感じがとても好感を持てます。ベタをベタとしてちゃんと作るとふつうに良いモノができるのです。ベタをなめてはいけません。なめていないと思いますが。

でもね、正直、最初が最高潮だったと思います。得てしてそんなものです。まあつまりかわいいというのはそれだけで強いってことですね。それでほかの領域でも頑張られたらなかなか勝てません。勝ち負けの話ではないですが、勝ってこそというのもまた真なり。何の話だっけ。

朝の思いを夜半に記す

人が行動を起こす場合、大抵何らかのきっかけがあり、その直後に初期衝動のような、言葉が適切ではないかもしれないけれど、そんなうまく言い表せないような感情の塊みたいなものがぼこっと生まれる。それを飲み込むか、吐き出すかは、人それぞれ、状況にもよるだろうし、いろいろである。そしてその結果として泣いたり笑ったりと何かを為したりするのだと思う。

岩井秀人はどちらかと云えば難解なカテゴリに分類される作・演出家だと思う。かといって前衛過ぎるわけでもなく、いわゆる芸術性に突出しているわけでもない。生まれたばかりの感情の塊を、あまり装飾せずに最低限の調整だけして表出させる、そんな演出をする。ふつうはもっと見せるために加工するし、それによってわかりやすく、且つ、面白くなるのだけれど(そして、それによってわかりづらく、且つ、つまらなくもなり得る)、それが演出家の腕の見せどころだと思うのだけれど、岩井秀人の場合、それをそのままぼろっと出す。だから往々にしてわかりづらい。でもたまに良くわかる。ものすごく良くわかる。そういうもやもやしながら理解する、という感覚が楽しみなのだなあ、と朝起きたらふと思いました。何で朝からそんなこと思ったのかはわからないのですが、みんなもっと岩井秀人に注目するといいと思います。

portration

イラストレータ・中村佑介氏5年振りの個展は、これまでのイラスト原画とポートレイトの展示。つまり、イラストレーションとポートレイトでポートレーション。ポートレイトは、事前募集された300人を前にひとりひとり会期中の会場でリアルタイムに描かれていくという酔狂で素敵な企画。ひとりあたり6分で描き上げ、そしてそれを間近に観ることができるというあたりが何とも気になる。気になるなあ。とても気になる。大阪ですけど。

出版物としてのイラストから伝播するパブリック・イメージと某ネットラジオから伝播するイメージの差、2万光年というあたりを含めて、今ものすごく興味がある人のひとりです。

ノンフィクションかフィクションか

音楽系ビデオの場合、大別するとライブ映像とプロモーション映像になると思うのだけど、僕は後者の方が圧倒的に好きで、ストレートな映像化も好きだし、DCPRGの「花旗」みたいな変化球というか、それボークじゃん、みたいなのも好き。ライブ映像は音楽に限らず、再現である時点ですでに負けている気がしてなかなか手が伸びない。記憶再現の支援装置、あるいは、代替手段としての機能に価値を認められたときには観るけれども。但し、再現性能に限界があるので緊急避難的な用途に限る。

「ユキビデオ2」と「SENSURROUND」を観る。すごく良い。SENSURROUNDは名前の通り5.1ch収録なので、ぜひサラウンド環境で。

雑文する日常の邂逅

録画しておいた「いいとも」を見る。ほう、タモリはもう歌わないんだ。いいとも青年隊的な青年(いまなんて呼ぶのかは知らない)にだけ歌わせておいて、自分は歌わないとはなんたる大御所。まあ大御所なので文句はない。ということで、ケラリーノ・サンドロヴィッチのとこだけを見て消す。月曜日は犬山さんか。久しぶりにテレビを見ると、懐かしいというか、こういう世界もあって、そしてそれは自分とは関係なく続いているのだなあ、と思う。思うだけで特にそれ以上でも以下でもないのだけど。

買ったもののあまり使っていなかった、iWorkのPagesを使ってみる。ほほう。まだ全然よくわからないけど、インテリジェント的な機能はWordよりは直感的でわかりやすい。軽文書に向いているのではないか。軽文書が何かということについてはまたいずれ。

連続して継続して継承

テアトル新宿で「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を観る。混雑。低予算ということを前知識として持っていると全体に苦労が偲ばれる映像だけど、テンポ、あるいは、力みたいなものは尋常ではなかった。美しい映像でもないし、脚本として特段、面白いというものでもないけど、何かしら考えさせられずにはいられない強制力みたいなものがものすごい。

日本における学生運動は、僕が生まれる前の出来事なので、どうしてもピンとこない。国が違うくらい世界が違う。でも親の世代ではそれが現実にあったものであり、その世の中は今に続いているのだなと、エンドロール直前の「その後」の年表を見て、とくに答えのない感想を持った。

3時間超の上演とは思えない密度感は、変な話、同じく3時間超であり、傑作だと思っているナイロンの「わが闇」を上回る(ちなみに両作とも坂井真紀が好演)。密度が高ければいいという話ではもちろんないけれど、退屈するなど許されないフィルムであり、あまり「映画」を観たという気がしないというのがこの映画の凄味だと思う。

ところで、東京のテアトル系はネットで座席指定できるので便利です。

映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」
監督・製作:若松孝二
音楽:ジム・オルーク
ナレーション:原田芳雄
出演:坂井真紀、ARATA、地曵豪、並木愛枝、佐野史郎、奥貫薫 ほか

4月にちょっと時間がとれるので、称名滝にでも行こうかしらんとうきうきしていろいろ調べていたら、まだ雪の中で冬季閉鎖中であることを知って凹む。

tod

先日、六本木ヒルズ行きのバスに乗って六本木ヒルズに赴きましたところ、ぐるぐると回りに回ってたどり着いて降ろされたどん詰まりのような場所から外に出るのにひどく手間取りました。時間にしてみれば然したることではないのですが、とても人を誘導しようしているとは思えない造りにいたく感銘を受けた次第です。何やら空洞化が囁かれる六本木ヒルズですが、全面リニューアルの暁には、ドルアーガの塔として真に迷宮化するとよいのではないでしょうか。1回くらいは行くと思います。

マスタード色の蜂蜜

予想に反することが多いと困ると思いきや、そうでもないというか、存外に楽しいこともあったりして、ぐるりと回って予想外。マスタードと蜂蜜の関係性について考えを改めました。今週は一日少ないので頑張ります。頑張りますとも。「ダンス・ダンス・ダンス」と「乱暴と待機」を読了。

そう云えば、「ほんたにちゃん」の表紙がオープンになってました。イラストレーションはokama氏。

フリータイム

渋谷からバス。窓から吹き込む風がちょうどいい感じになってきましたな。

チェルフィッチュ初見。断片と反復。削ぎ落として抽出して培養したような、あるいは、現代音楽のような演劇。前衛といえばそれまでなのだけど、そしてその手のものに多少なりとも含有されている退屈さみたいなものは確かにあったのだけど、それも含めて嫌いではない。役者の入退場と給水と休憩、もしくは、とある髪型に関する考察といった末節については素直に面白いと思った。

長ネギ、ジャガイモ、ホウレンソウ、ちりめんじゃこ、ピクルス、スモークサーモン、オリーブオイル、瓶詰めマスタードなどを買って帰る。

チェルフィッチュ「フリータイム」 (スーパー・デラックス)
作・演出:岡田利規
出演:山縣太一、山崎ルキノ、下西啓正、足立智充、安藤真理、伊藤沙保

居心地よく心地よく

キリンジのインタビューがいい具合に噛み合っていなくて微笑ましい。来週のアルバム、楽しみなのだけど、冨田恵一をふたたび招聘することはないのかしら。まあそういうものなのかもしれない。

Mac環境に移行してそれなりに経ったけど、何とかなるもので、ほぼ不便なことはない。FTPがショボイとか、エディタが今ひとつとか、フォント揃えないとなーとか、CS3買い直したりとか、メモリ6GB詰んだりとか、まあそういうことは些細なことで、なによりパーソナル・コンピュータとしての魂みたいなものをちゃんと真っ当に感じることができることが何よりうれしい。Windowsは嫌いではないし、便利か不便かで云ったら明らかに便利であるのだけど、パーソナル・コンピュータを使う喜びみたいなものはあまり感じられなくなってしまったのだな。以前はコンピュータは道具なのだから便利でなんぼ、と思っていたけれど、少なくともいまにおいては、もっとベーシックなもの、たとえば環境みたいなものであり、そこに求めるものは、居心地のよさだったり、肌触りのよさみたいなものなのかなあ、と思ったりした。別個に便利になりすぎて逆に拡散してしまったものを、ひとつの流儀に基づいてもう一度まとめ直してみたら、ちょっと不便になったけどずっと面白くなった、みたいな。

手の上で踊り続けない

ダ・ヴィンチ4月号の巻頭特集、ではなくて第2特集の本谷有希子が無駄にかわいい。相変わらず自意識高くて鼻持ちならない感じが素敵です。そして腰が低い。腰の低さ自体が計算っぽく、且つ、無意識的でもあるところが、もう気が許せません。許したところで何もありませんけど。

名前をつけて投げつけて

タイトルがよいというだけで買ってしまうことがある。少なくとも所有欲を掻き立てられる。名前は重要だ。名前と中身が釣り合っていないだとか、名前にだまされるなとか、そういうことを云われたりするけど、名前だけで本質の7割くらいを占めていると云っても過言ではない。名前にはそのくらいの力があるし、そのくらいの切実さと愛情をもって命名しなければならないと思う。いい加減につけた名前などハナクソである。名前とはタイトルであり、十分な熟考と一瞬の閃きにより名付けられるものなのだ。

このテキストは、本谷有希子の最新刊「ほんたにちゃん」のことを頭に思い浮かべて、思いついたことを5分で作文したものです。意味は3gくらいしかありません、あしからず。要は、ほんたにちゃんってタイトルはかわいくていいなあという話。ほんたにちゃん。しつこい。

流れるまま為すがまま

放流ビデオを観ていたら手ブレに酔って寝込む。オーディオコメンタリーでも話していたけど、じっと観るというより、これを肴にお酒でも呑むのがちょうどいいと思う。そんな状況を俯瞰で見ると微妙であるが。あとパピルス2月号の「大木家のたのしい旅行」を読む。前田作品の登場人物は全体的に無気力で、でも根拠のない緩いポジティブシンキングをする。これもそうだ。そのあたりが、えーと、うまく云えないし、うまく云う必要性もないので云わない。

偉大なる生活の冒険

てくてくと歩いて「偉大なる生活の冒険」を観る。小説「グレート生活アドベンチャー」の劇場版。駄目なひとたちの過去と現在と未来の話、とか書くとそれっぽいけどそういう訳でもない。むしろそういうことはどうでもよい。合わない人もいるだろうけど、それはなんでもそうだ。それとかそうとか曖昧なことでまた無駄に文字数を稼いでいるが、無駄に稼いでもお金は稼げないし時間もなくなるしで誰も得はしないことは明白である。が、そういえば電力会社が得をするのではないだろうか。前言撤回。かつてないラストシーンが衝撃。これはネタバレではないと思う。アゴラ劇場にて16日まで。ぐっとお得な1,500円。

五反田団「偉大なる生活の冒険」 (こまばアゴラ劇場)
作・演出:前田司郎
出演:前田司郎、内田慈、石橋亜希子、安部健太郎、中川幸子

2010年のエレクトラ

吉祥寺からひと駅、西荻窪にてあなざーわーくすの「2010年のエレクトラ」を観劇。というか参加。曰くレクリエーション演劇。あるいは観客参加型演劇。どんなものかとおっかなびっくり乗り込んだら、そこは何だか不思議な空間。脚本は何だかよくわからなかったし、どちらかといえば在り来たりの類いのものだったけど、距離感とリラックス感は、目新しさと当初からのギャップも手伝って、他では味わえないものだった気がする。何だか白昼夢を見たような感覚。うまく伝わっていないと思われますが、簡単に云えば、役者も観客も全員舞台に居て、話したり動いたり笑ったりしたということ。あるいは360度演劇。青山円形のように舞台を客席が取り囲むのではなく、客席を舞台が取り囲む。斬新かどうかはともかくとして新鮮でそして面白い。それと岩井秀人はやはりいいよいいよ。

あなざーわーくす「2010年のエレクトラ」 (遊空間がざびぃ)
作・演出:わたなべなおこ
出演:大西智子、髙木雅代、髙橋美貴、岩井秀人、油絵博士、中島美紀、西田麻耶

過去に見る洗練と近未来

団地さんの写真がかわいい件。ノスタルジーとかではないと思う。旧公団(現UR都市機構)提供によるずっと昔のピカピカの団地さんたちの写真はどれもキュートで、そして近未来的。空間における建物の配置だとか色だとか何やらとても洗練されている。これが高度成長時代の勢いなのかな。きっとぐっと来るはず。

毛玉の恋

パピルス4月号に掲載の「南禅寺玉瀾」を読了。今回は縁談。やはり細切れで読むのは勿体ない。そしてそれを書くのはもっと大変であろう。兎にも角にも和む。縁談破談!縁談破談!そのほんの少し前に「風の歌を聴け」も読了。

親切すぎない構成

スカイ・クロラのトレイラーがすごくよい。とても短いのだけど空中戦のシーンは鳥肌が立つ。構図と動きと音。原作との差違なんてどうでもよいくらいの作品になっていたらいいなと思う。「1973年のピンボール」を読了。聴覚に関するくだりが最も興味深い。技法として群を抜いている。

すべてに意味がある必要はないし、常に親切であることに必ずしも価値があるわけでもない。

南北の直線上2点における事象

苦く熱いコーヒーを作っている間に、温めておいたアイロンでシャツのしわを伸ばしていく。襟と裾にきちんとアイロンを掛けるのがポイントで、あとは適当でも何とかかるものだという持論をいま思いつく。午後7時2分。

惰行しながら追い越していく快速線を横目に緩行線で西へ少しだけ移動する。前に一度だけ訪れたことのある商店街を抜ける。余所の商店街を歩いていると、友人の実家にお邪魔をするような、知ってはいるのだけれど落ち着かない不安定な気持ちになり、ほのかに面白い。ちなみに、人の名前は鮮やかなほどに覚えられないが、一度でも来た場所は忘れない質なので、迷わずたどり着く。ピンズ・ログの「火の鳥にキス」を観劇。何の誇張も矮小もなく面白かった。愛すべき普通さ。普通という感想は何も語っていないが、同時に普通であることは決して悪いことではない。それは適当という言葉の二面性と似ている。各駅停車を普通と呼ぶ着想の切れ味と双璧を成す。一般的でありふれた列車の停車駅とはなんぞ。適当なことを書くのは楽しい。何にせよ、こういう芝居をコンスタントにそしてリーズナブルに観られるのはうれしい。

場所を変えて、モッカモッカの「I WANT YOU I WANT YOU」を観る。過去二作を遙かに凌ぐ出来映え。なにせ舞台も映像もちゃんと面白いのだから。やればできる。また駅前でやって欲しい。なんだかとても楽しい一日だね、これは。

ピンズ・ログ「火の鳥にキス」 (劇場MOMO)
作・演出:平林亜季子
出演:青木十三雄、石塚義高、川崎桜、古賀裕之、小島幸子、迫田圭司、高木珠里、竹原千恵、寺田未来、二木奈緒、真下かおる、森口美樹、森脇由紀

モッカモッカ「I WANT YOU I WANT YOU」 (駅前劇場)
作:モッカモッカ、上田誠、カリカ家城、小林顕作、ブルースカイ
演出:モッカモッカ
出演:加藤啓、辻修、中村まこと、中村たかし