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candylogue

March 2009May 2009

April 2009

人生ゲーム

20年ぶりくらいに人生ゲームをする。続けて3回する。さらにもう1回する。こどもは多い方がいい。火災保険はあまり役に立たない。フリーターではかなり厳しい。ホワイトタイガー最強。面白いのでゴールデンウィークは家で遊ぶのがよいと思います。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

村上春樹の「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読了。なぜか読み残していて、折角だから短篇なんかをあらかた片付けてから取りかかろうと、ずっと温存していた最後の長篇に満を持して取り組む。思えば僕にとっては「国境の南、太陽の西」以来の長篇、と思ったけれどこれは村上春樹作品としては中篇のような気がするので、真の長篇としては「海辺のカフカ」以来かな。読む順番が滅茶苦茶だけど、そういうことはもうどうでもいい。少なくとも読書においては遅い人ほど自由なのだ。

最後に読んだことが多分に影響していると思うけど、いちばん良かったかも知れない。気のせいかも知れない。ひとことで言うとイカしている。そんな中で最も気に入ったのは次の一節。

「前よ」と彼女は言った。

世界はたしかに進化しているのだ。

ということで、次は「1Q84」ですね。

螢・納屋を焼く・その他の短編

村上春樹の「蛍・納屋を焼く・その他の短編」を読了。一編めの「螢」を、あれ、これ読んだことあるなあ、もしかして前に読んだのを間違えて買ってしまったのかも、などと不安を感じながら読み進める。何を隠そう、部屋の書棚には「国境の西・太陽の南」と「海辺のカフカ」が2冊ずつある。カフカに至っては上下巻とも2冊ずつだ。ひどい話である。まあそれはともかく、事端の懸念は杞憂だった。北欧の話が好きな人は読んでみるといい。北欧ではなく四谷の話だけれど。「レキシントンの幽霊」に収録されていた「めくらやなぎと、眠る女」はそんなに好きな話ではなかったのだけれど、その元バージョンである「めくらやなぎと眠る女」は、読んでみて少し好きになった。バスのシーンが静かで美しい。「三つのドイツ幻想」は意味がわからなくてなかなかいい。でもいちばん好きなのは「踊る小人」、もしくは「あとがき」。

神の子どもたちはみな踊る

村上春樹の「神の子どもたちはみな踊る」を読了。あいかわらず読む。ここのところ読んだ短篇集の中では最もふつうというか、読みやすい短篇集で、そのぶん不可解性やもやもや感は少なめ。短篇集を読む傍ら、ちょこちょこと読み進めている「少年カフカ」によると、当時における村上春樹文体の総決算として書かれているようなので、そういうことを念頭におきながら読むと印象深いかも、といいつつ、読んでいるときはそんなことは気にせず読んでいたので、そのうち思い出したら読み直してみたいと思う。「神の子どもたちはみな踊る」「タイランド」「かえるくん、東京を救う」「蜜蜂パイ」がとくに印象に残った。

TVピープル

村上春樹の「TVピープル」を読了。これでもかと村上春樹ばかり読んでいるけれど、そのことにとくに意味はなくて、しいて言えば、仕事の行き帰りの電車の中で読むと片道でおおむね50ページくらい読めて、都合数日で読み終わるのが精神衛生上、悪くなく、それで何となく読んでいる、というのが事実に近い。「我らの時代のフォークロア --高度資本主義前史」「加納クレタ」「眠り」が好き。

レキシントンの幽霊

村上春樹の「レキシントンの幽霊」を読了。以前、森博嗣が、良い短篇を書くことは良い長篇を書くことよりも数段難しい、というようなことを言っていた。細部は違っていたかも知れないが、ニュアンスとしてはそのようなことを言っていた気がする。勘違いかも知れない。それはともかく、というよりも、そもそも森博嗣を引き合いに出すまでもなく、優れた短篇小説は時として優れた長篇小説を凌駕することがある。あるいは凌駕しないこともある。大抵はそのどちらかである。

この本は良く精錬された短篇集であり、読むともやもやとする。その消化しづらい捕らえどころのないものは、嫌らしいものではなく、心地よくさえある。心の何処かにある、ごろっと静かに沈む何かを感じながら読み終えて、さてそうだね、などとつぶやいてから、夜のご飯のことでも考えてみたりする。「沈黙」「トニー滝谷」「七番目の男」が出色。