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本日の一文

電車の中で森博嗣の「工作少年の日々」を読んでいて、「小さいが確かな幸せ、「ラッキー一発!」だ。」のくだりで思わずにやける。

有馬と狸

4ヶ月に一度のお楽しみ、パピルス連載の狸話「有馬騒動」を読む。今度の舞台は有馬温泉。単行本化されるとちょうど中盤から終盤に向かうくらいの頃合いなので、風雲急を告げる展開にむずむず。これで5話たまったので書き下ろしを加えて来春くらいに全部読めるといいなあ。

連読

乙一の「死にぞこないの青」と島田荘司の「UFO大通り」を読了。乙一のは全体としては今ひとつ消化不良というか煮え切らない感じながら、読むと嫌な気分になり、鬱々としてイライラとして結果止められなくなるという、乙一らしい多湿な小説。UFOの方は御手洗潔もの。御手洗が舞台を海外に移して以降は、何となく疎遠になっていたので久々の再会。懐かしい横浜時代の中編2作はどちらも良作。氏の長編にありがちな大いなる寄り道がなく、やはり石岡くんは必要だよなあ、などと懐かしさを噛みしめながら読み切る。懐古趣味で何が悪いのかね。そして今は「森博嗣の道具箱」を読んでいるところ。

紙の匂い

先日、新宿にて。少し時間があったので、紀伊國屋書店に入って本を買ってみた。

本当に近頃は本屋で本を買う、ということをしなくなった。僕の場合、本はたいていのケースにおいて、あらかじめ決めているものしか買わない。そして往々にして本屋に目当ての本は置いていない。あるいは探すこと自体が面倒に思えたりしてしまい、結局ネットで買うことが95%くらいになっていると思う。探すのが楽しい、あるいは、運命という名の偶然の出会いという奴もあるのだろうけど、いつもいつもそれじゃあ物好きかコンサバティブな人しか集まらないよねえ。まあ、本なんてそもそもマニアックでマイノリティな商品な訳だけど。そういえば、紙の匂いのする本屋(たぶん商店街なんかにある小さな本屋だ)にはずいぶんと行っていないなあ。あの匂いはすごく好きだ。これはアマゾンじゃ無理だね。

5分で決めた本がなんなのかは置いておくとして、それとは関係なく、「日出る国の工場」を読了。小岩井農場に行きたくなったり。岩手の高原は素晴らしいですよ。

そわそわ

期が変わってちょっと落ち着いたような、でも本番はこれからよ♥的なちょっとそわそわした感じでとくに目的もなくだらだら過ごして、夕方あたりに買い物に出掛けて空を見上げるとほんのりオレンジ色に染まった夕空で、でも深く感銘を受けたりはしないでゆらゆら歩いて帰ってくる。

漫画はあまり読まないというか手を出さないことにしているのだけどつい魔が差して「デボネア・ドライブ」を読んだらとても面白かったので余裕があったら読むといいと思います。余裕がなくても読むと余裕ができるかも知れないけどそんな効能は謳われていません。登場人物たちの距離感となんだかみんないい人なのがとてもいい。会長幽体と死神のコンビが素敵。

赤めだか

「赤めだか」を読了。落語界の本として素晴らしい内容と聞いていて読んでみたら、落語に限定せず素晴らしい本だと思った。立川談志の弟子・談春の半生が綴られている。まったく興味の範疇外の世界での出来事。断片が繊細に波乱が淡々と、描かれゆく世界はずっと遠く、そして気がつけばすぐ近くの世界。落語、聴きに行かなくちゃ。

美女と竹林

[photo] 美女と竹林

「美女と竹林」を読了。小説宝石に連載されていたエッセイの単行本化。ただし騙されてはいけない。初っ端からエッセイとは思えない三人称の文体にたじろぎ、そのままフィクションとノンフィクションの狭間を彷徨いながら、竹林伐採、思い出阿呆話、ラブロマンス、果ては経営哲学と目まぐるしく姿を変えながら読者に迫り来る、ということはなく、ただただオモチロイことだけを追求した壮大なる空虚随筆に脱力して乾杯する。モリミー初見の人にはあまり勧めないけれど(最初に読むならより相応しい本がある)、この自由さが何より愛おしいほど面白い。森博嗣の水柿君シリーズとちょっと似ている気もする。

本の杜で

[photo] 天狗の森

「いくらページをめくっても、登美彦氏登美彦氏登美彦氏登美彦氏登美彦氏・・・出てくるのは登美彦氏ばかりである。そんなふうに出しゃばってきて、何をするのかと思えば竹を刈る。『そうか竹を刈るのかそれでどうする?』と思って油断していると、本当に竹しか刈らない。ここで『おいおいマジかよ竹を刈るだけか』と思う人間は甘いのである。ついには竹を刈りさえしなくなる。埋め合わせに蘊蓄を語りだしてもあとが続かない。感動実話かと思えば感動しない、しかも実話ですらない。山もなければ谷もない。驚愕の展開も、荒唐無稽な風呂敷畳みも、アッと驚くオチもない。大団円は捏造だ。せめて実益があるかと思えばそれもない。いったいおまえは何者だ!!」 (この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ)

モリミー最新刊。連載は読んでいなかったのでまったくの想像ですが、無益なテキストが溢れている感じで俄に期待が高まります。無益な娯楽作文ほどリラックスできて幸福な読み物はありません。能ある鷹は爪を隠す。有益そうでいてその実有益なものより、無益さを装った有益さの方が何倍も面白いのです。無益だと思ったら思った通りに無益だったというオチもまた示唆に富んでいて含蓄のある有益なものだということも言えなくはありません。適当に書きました。いや買いますよ、読みますよ。

日常から逡巡して解脱にいたる

最近、予定と予定の合間に喫茶店で本を読んで過ごすことが多いのだけど、予定が詰まっていてもその時間だけがいやにゆっくりと進むので、なんだかスローライフ。まあそれは錯覚なのだけど、そもそも大抵のことは錯覚みたいなものなので、気にせずに騙されているのが良いと思う。

ということもあり、近年希にみるほど本を読んでいる今年ですが、シリーズ物としては最も好きと云ってほぼ間違いない水柿君シリーズの最終巻にして完結編「工学部・水柿助教授の解脱」を読了。このシリーズ、小説のフリをしたエッセイと思わせておいて限りなく私小説的でありその実は......という作品である。それが何かは読んでのお楽しみ、などと思わせぶりなことを書いて煙に巻くのもまた一興。まあしかし、きっと大抵の人はあまりのくだらなさに、途中で読むのを止めるだろうし、あるいは人によっては立腹するかも知れない。いずれにしても途中で止めたところで実害はないし、そうしたいのであればそうするのが良かろう(上から目線)。間違いなく森博嗣の著作物の中でいちばん面白いと思うが、でも薦めない。面白さの中にいろいろと示唆に富んだことが書かれていて、それがとても興味深い、ということはさておき、だらだらと読むことをお薦めしたい。なんだお薦めしてるじゃん。

食堂かたつむり

「食堂かたつむり」を読了。食べることの意味、いのちの大切さがこれでもかと云うほどに、でも決して押しつけるところ無く書き綴られている。それを噛みしめるようにページを繰る。素朴であること故のこの力強さを素晴らしいと思います。

読々了々

「誰かが手を、握っているような気がしてならない」を読了。これまでと毛色がちょっと違う。この自由で縛られない作法というか技法はいいなあ、羨ましいと思う。「ほんたにちゃん」を読了。これまで以上に自意識がストレートに溢れていていい。アホだなー、ということ以外とくに何も残らないけど、いいんじゃないかね。そうそう残られても困る。「ノルウェイの森」も読了。

家に帰ったら加湿器がぶっ倒れていて床が水浸しだったことにもめげずに週刊真木よう子の第1回を観てへへーんとか思いながらあと2日だなーとか思い、えーと、ちょっと疲れた。

手の上で踊り続けない

ダ・ヴィンチ4月号の巻頭特集、ではなくて第2特集の本谷有希子が無駄にかわいい。相変わらず自意識高くて鼻持ちならない感じが素敵です。そして腰が低い。腰の低さ自体が計算っぽく、且つ、無意識的でもあるところが、もう気が許せません。許したところで何もありませんけど。

名前をつけて投げつけて

タイトルがよいというだけで買ってしまうことがある。少なくとも所有欲を掻き立てられる。名前は重要だ。名前と中身が釣り合っていないだとか、名前にだまされるなとか、そういうことを云われたりするけど、名前だけで本質の7割くらいを占めていると云っても過言ではない。名前にはそのくらいの力があるし、そのくらいの切実さと愛情をもって命名しなければならないと思う。いい加減につけた名前などハナクソである。名前とはタイトルであり、十分な熟考と一瞬の閃きにより名付けられるものなのだ。

このテキストは、本谷有希子の最新刊「ほんたにちゃん」のことを頭に思い浮かべて、思いついたことを5分で作文したものです。意味は3gくらいしかありません、あしからず。要は、ほんたにちゃんってタイトルはかわいくていいなあという話。ほんたにちゃん。しつこい。

毛玉の恋

パピルス4月号に掲載の「南禅寺玉瀾」を読了。今回は縁談。やはり細切れで読むのは勿体ない。そしてそれを書くのはもっと大変であろう。兎にも角にも和む。縁談破談!縁談破談!そのほんの少し前に「風の歌を聴け」も読了。

心象

「東京奇譚集」を読み終わる。短編が心地よく。

[photo] 花園神社の鳥居
 

年末にミステリ

ここしばらく苦戦していた「首無の如き祟るもの」を読了。今年のミステリ系ランキングで軒並み上位となっていたので、ではでは、と読んでみたところ、期待通りの三津田節。ホラー×ミステリのバランスは秀逸であるし、伏線から展開、仕上げととても上手くまとまっている。面白い。でも、ちょっとおなかいっぱい。作風は違うけど、麻耶雄嵩の「翼ある闇」を彷彿とさせる。いや全然似ていないけれども。なんちゃってじゃない新作の本格推理ものを読みたい方におすすめです。

ユラギ

「別れの後の静かな午後」を読了。読み終えて思ったのは「ただ、それだけ」。ただ、それだけのことなのに、ただ、それだけのことだから、それはとても愛おしい。大きな波はなく、緩やかな揺らぎの中で延々と続く時間を感じる、そんな小説。そしてその時間はずっとは続かない。

ホルモー再び

部屋の灯りを変えたら視界がクリアに。

万城目学の「ホルモー六景」を読了。今年読んだ本の中では3番目に好きな「鴨川ホルモー」の続編。というか外伝。ホルモーの正統な続編だと思って読むと少しばかり肩すかしを喰う。その代わり、じんわりする。きらきらする。くやしい。そう来たか。ホルモーを取り巻く6つの風景。この新ホルモーは、ホルモーを源として新しい情景を切り出す。「ローマ風の休日」「長持の恋」が出色。

ダイヤモンド組曲

「アサッテの人」を読了。かなりトリッキーで挑戦的な小説。でも読みづらくはないし、難解でもない。平易でありながら、ここまで独創的な構成となっていることに驚く。話の内容そのものよりも、その小説としての枠組みというか、骨格部分の自由さに賞賛を送りたい。惜しむらくは、非常に攻撃的な構成であるのに対して、話の深掘りに不足が感じられること。ただそれすらも自由な飛躍の結果なのかも知れない。賛否両論あるようだが、ラストの切れ味は美しい。

話と文体は変わりますが、冬の音楽として定着した感のある堀込高樹ですが、いや嘘ですが、それは僕の中での話ですが、もうひとつ定着している音楽、というか曲として小沢健二の「夢が夢なら」があります。この凛とした透明感と緊張感は、晴れ渡り底冷えのする冬の朝の空気にも似て、とても清々しく、そしてとても悲しいのです。冬は悲しい。悲しくて、寒くて、それが冬のよいところ。今年の冬はポテンシャルが高い。

音楽と小説

最近はもっぱらタワレコ派ですが、久しぶりに HMV で物色していて、なんとなくトクマルシューゴの「EXIT」を買ってみたら、よかった。音がやさしい。まあるい。あたたかい。声はカジヒデキみたいだけど。あるいはスパイラルライフ時代の車谷浩司とか。

前田司郎三部作を読了。本谷有希子が情念だとすれば、前田司郎は白けだろうか。でも空っぽでもなくて。共通しているのは、みんな自分勝手。そして自我暴走。ところで前田司郎三部作なんてものはない。